なるとの「第九」とは?

 第1次世界大戦中、大正6年から大正9年の約3年の間、鳴門市板東に俘虜収容所があり、約千人のドイツ兵が収容されていました。彼らは音楽、演劇をはじめ橋の築造にいたるまで様々な文化活動や事業を行いました。

 収容所内においてそのような活動をしていたことはもちろん驚くべきことですが、俘虜となった兵士にそのような活動を許していたこともまた驚くべきことといえるでしょう。様々な文化活動を進めていく中で彼らは地元の人々との交流を深めていきました。

 ベートーヴェンの「第九」交響曲はそのような状況のなかで大正7年6月1日、ドイツ兵によって演奏されました。それがこの曲のアジアでの初演となったのです。鳴門市では6月1日を「第九の日」と定め、毎年6月第一日曜日に、全国から仲間を募って、歓喜の交響曲を歌い続けています。

 2018年には鳴門での初演から100周年を迎え、「第九」を歌うことの歓びとその意味を見つめ続けています。

 昭和57年5月15日の第1回「第九」交響曲演奏会より例年会場としていた鳴門市文化会館が令和3年4月1日より休館中であるため、令和4年5月1日に鳴門教育大学体育館を会場として開催を予定しておりましたが、新型コロナウイルス感染症拡大の現況を踏まえ、中止といたしました。