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第1次世界大戦中、大正6年から大正9年の約3年の間、鳴門市板東に俘虜収容所があり、約千人のドイツ兵が収容されていました。彼らは音楽、演劇をはじめ橋の築造にいたるまで様々な文化活動や事業を行いました。
収容所内においてそのような活動をしていたことはもちろん驚くべきことですが、俘虜となった兵士にそのような活動を許していたこともまた驚くべきことといえるでしょう。様々な文化活動を進めていく中で彼らは地元の人々との交流を深めていきました。
ベートーヴェンの「第九」交響曲はそのような状況のなかで大正7年6月1日、ドイツ兵によって演奏されました。それがこの曲の日本での初演となったのです。鳴門市では6月の第1日曜日を「第九の日」と定め、全国から仲間を募って、歓喜の交響曲を歌い続けています。 |
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これまでの第九演奏会→[第30回]|[第29回]|[それ以前]
2011.6.5、第30回 ベートーヴェン「第九」演奏会が開催されました。
立ち見も出た1401名の観客の前で、600名を超える合唱団、指揮者、ソリスト、オーケストラが一丸となり、東日本大震災の復興を祈念して「第九」を響かせました。
昨年10月の合唱団の募集以降、本番に向けて練習を重ねていく間に発生した東日本大震災──。合唱団の3分の2以上を占める県外から参加の方のうち、被災で参加できなくなる方もいらっしゃる状態で、それでも鳴門にお集まりいただけた県内外および海外の皆様に、心よりお礼申し上げます。また、ご来場いただいた多数の皆様、誠にありがとうございました。(事務局一同)
「被災地の第九仲間に少しでも役に立ちたい!」
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今年の鳴門の第九演奏会へ、東北地方から4団体が申し込まれました。その各団体へ郵送した演奏会関連の文書が返還されてきた───。それは、3月11日の東日本大震災の前に発送したものでした。
連絡がとれなくなってから8日後の3月19日、被災地の第九仲間から、「被災を受けた団員がいるので、今回の鳴門における第30回記念第九演奏会を残念ながらキャンセルする」とのFAXが届きました。
被災状況が不明な中、徳島県内の団員に『被災地の第九仲間の力になろう』と、第九の練習日に義援金を呼びかけることになりました。3月23日、3月25日、3月30日、4月6日の4回の練習日の義援金が88,694円。その後、ある会員からの追加金を加えて合計100,000円、さらに4月13日のNPO法人鳴門「第九」を歌う会の理事会でも理事の皆さんに義援金を呼びかけ合計200,000円となり、4月14日、被災を受けた2つの団体にそれぞれ10万円をお送りしました。
また、6月4日の第30回第九演奏会前日(リハーサルの日)にも、49団体(全国47団体、アメリカ2団体)および徳島県内の鳴門・阿南・三好の第九合唱団員に義援金を呼びかけ、137,860円が集まりました。これに第九グッズの売り上げの一部を追加して14万円を、被災地の大変な状況の中、被災に立ち向かう強い気持ちを全国の第九仲間に分ってもらいたとの気持ちから参加された「岩沼みんなで歌う第九の会」の責任者石川陸雄さんに、参加者全員が集まる第九演奏後の交流会でお渡しすることができました。なお、被災を受けて参加できなかった1団体には、別便で送金させていただきました。
6月5日(日)の第九演奏会当日は、会津若松市(鳴門市の友好姉妹都市で同県の被災者を受け入れ、支援に力を尽くしている)を支援するため、演奏会の観客・市民を対象として、鳴門市長自ら支援金のお願いの先頭にたっていただき、支援金を募集しました。6月6日(月)に開催された大塚国際美術館ミュージアム・コンサ−トでも同様に、支援金を募集し、合計405,883円が集まり、鳴門市文化交流推進課を通して会津若松市にお送りしました。
また、この第30回第九演奏会と大塚国際美術館での演奏会に指揮者を務められた鳴門教育大学准教授山田 啓明先生が出演料全額を会津若松市支援金として募金をしてくださいました。
この会津若松市を支援する市民の会実行委員会では、引き続いて年末までこの運動を実施し、いろいろな催し物のたびに支援金を募集することになりました。NPO法人鳴門「第九」を歌う会でも参加団体として支援金募集に力を入れて参りますので、市民の皆様、団員の皆様、これからも一層のご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。
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NPO法人 鳴門「第九」を歌う会
事務局長 浅野司郎
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→徳島新聞記事
→第九日記(演奏会前日/演奏会当日/大塚国際美術館ミュージアムコンサート)
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